「がん」というものに対する、新たなパースペクティブというか心構えというか、そういうものが芽生えました。
さて、前回の続きになりますが・・・
エピソードⅡ
去る4月の第一日曜日、娘と近所の きのこ公園 に遊びに行きました。
のんびりと、滑り台に登ったり降りたりしていた時のことです。
ふとした拍子に娘が訊いてきました。「パパ、愛ちゃんのこと、すき?」
私 「おお、すきやで~」
そう答えた後、一呼吸の間、娘が私の顔をじっと見ていました。
そして私の目を覗きこみ、微笑みながら訊いてきたのです。
「パパ、パパはどうして愛ちゃんを選んだの?」
私 「・・・」
返事につまります。
またまた、不思議な感覚に陥ってしまった。
私は、子どもができた時、その子が男の子なのか女の子なのか、まったく気になりませんでした。
ましてや、私はこの子が生まれるまでは、この子のことを知りませんでした(当たり前ですな)。
なのに、なのになんだが、、、私はその言葉に妙にリアリティーを感じたのです。
言われてみると、そんな気がしないでもない。
論理的には、100%ありえないのだが・・・
なんだか、戯言には聞こえないゾ・・・
実のところ、私は、この子に何度も助けられているし・・・
この子と共に過ごす時間を望んでたような・・・
かなりそれっぽい気がしてきた(笑)!
その日は、一日中、頭がフワフワしていました。
自意識を確かめるべく、夜、瞑想をしてみた。
生まれる前から娘を知っていた、なんてことは、、、やはりない、うん。
生まれてないんだから、ありえないし、、、うん。
「魂」なるもの、言葉は知っているが、その存在を実感したこともない、うん。
結論として、私の理性やその周辺の感覚は、完全にこのファンタジーを否定している。
だが!
だが、しかぁし!
あー、自分はどこかでこのファンタジーを肯定している!
あー、この肯定感はどこから来るのだ?
ファンタジーを肯定している自分を面白がっているだけなのか?
いや、なにかリアリティーを感じるのだが・・・
あー、脳みそが落ち着かない!!!
人間の意識は、どこまでこの世界を把握できるのだろう・・・
自分の生きているこの世界が、実はまったく自分の感じているようなものでないとしたら・・・
悩ましい日々は終わらないのであった。
つづく