2016年1月1日金曜日

音楽の力

第66回NHK紅白歌合戦の大トリは松田聖子さんの「赤いスイートピー」。


紅白ではないが、最近ある映画の大トリでこの曲を聴いて、音楽の力を猛烈に実感した。
「麦子さんと」という作品です。

テーマはもちろん「愛」。
自らの死に対する恐怖や肉体的苦痛などより大切な人を想う心を優先する、「愛する者」の情景を描いています。
そして、「愛される者」が「自分は愛されていた」ことを受け入れるまでの心模様がよく描かれています。

はたして、こういうテーマはえてして激情的に描かれます。
登場人物の動作も派手で、現場の光景も鋭利といえるほど美しく、劇中のBGMも激情的に振れやすい傾向にあると思います。
わたしはそれが当たり前だと感じていました。
だって、そのような自己犠牲の苦痛を乗り越えるといった「愛」の作用は、劇的で、抒情的、かつ、美しく、壮大で、夜中に街を走り回りたくなるような感動であって当たり前でしょう!
みたいな。

しかし、そのような一見「鋭利な愛」の物語も、「赤いスイートピー」の波動で、陽だまりのような「穏やかな愛」の物語に。
「赤いスイートピー」は、母娘の絆を描いた歌でないにも関わらずです。

逆に、なにげない風景、犬の散歩で普通に目にしているような光景であっても、「赤いスイートピー」の波動で、優しい田園に早変わり。

聖子さんの声と曲のハーモニーがなせる技ということか。



これは驚きでした。
上へ下への大騒ぎになりそうな人生の悲哀も、受け取り方次第で優しい愛の物語になりえるということです。
また、何の変哲もない生活の風景であっても、感じ方次第で優しい人生の一コマに変容しうるということです。

なんたることでしょう。
昔「エースをねらえ」というテニス漫画を全巻揃えて、当時のバイブルにしていた。
お蝶夫人だったか棟方コーチだったか、「人生の幸不幸は、その出来事そのものにあるのでない」といったセリフがあり、当方、分かってもいないのに、分かったかのように大人ぶってたものだが、今になってその意味が分かった(ような気がする)。

もしBGMが無かったり、逆にベートーベンの第九のような旋律であったら、この物語はどう映ったであろう。
そして実感した。
特定の出来事の幸不幸の色合いを決めているのは、出来事の内容もさることながら、受け取る人の心の波動であることを。

私は「赤いスイートピー」の波動に影響されて、悲痛・悲美であるはずのこの愛の物語を、物悲しくも暖かい愛の物語として受け入れることができた。
「音楽」がこれほど大きな影響力を持つとは思いもしなかった。

ちなみに「赤いスイートピー」、作曲:呉田軽穂ということだが、この呉田軽穂ってユーミンだったんだ!
知らなかった。

心の波動を旋律に変えて表現できるって素敵な才能だなあ。。。