なかなか上達しなかったので、よくしょぼくれていたもんだ。
やっとわかったのだが、自分は指の力が弱すぎた。
将棋の駒を指したり、麻雀の牌をきるにはちょうど良い按配なのだが、野球のボールをコントロールする指の筋肉がまったくできていなかった。
こう言うと、「いや肘だ!」とか、「いや、走り方が玉ネギっぽいんよ!」とか、「イヤ、そもそも海老っぽかった!」とか言う奴らが出てくるであろうが、無視する。
「妖怪っぽい」っていう輩も・・・ああ、これは別の時代だ。
でも、やっぱり野球は青葉の季節の多くを占めたことには、かわりはない。
小学校の時は、本当によく野球(コバヤン野球)をして遊んでいた。
コバヤン野球とは何だ、と聞かないでください。
実は、普通の野球とどう違うのか、私自身未だに理解していないのだ。
”コバヤン”なる呼称については・・・
やめておこう(笑)
自分もガキ大将だったので、HちゃんとW君には、私の傍若無人な振る舞いをまず詫びておかないといけない。
m(;∇;)mゴメン
自分は、なぜだか、いつもランニングシャツ1枚だった。
いっつも。
それも、どういうわけか、裏返しに着ていた。
常に。
あれ、なんでだろう・・・?
とにかく、まあ暑かった。
三角ベース。
王貞治の野球教室(左打者は一塁ベースに一歩近いという、とっておきの話もその時知った)
秘密の特訓(笑)
バットでうまくロウソクの火を消さないといけないのも一苦労だ。
肘を耳にこするように投げる?(そんなことできるか!)
ポキポキよく骨も折れた。
学校の屋根、うさぎ&鳥小屋の裏、小田井の中・・・ボールを探すのも大変だった。
(小田井になぜエイがいたか、これも未だ謎である)
”アストロ球団”に”ドカベン”に”キャプテン”に”侍ジャイアンツ”に”アパッチ野球軍”・・・
もう洗脳のレベルやっちゅうねん。
遅くなって家を締め出されるは、疲れて宿題はできないは・・・
自分の中の少年が、いなくなることは、多分ない。
野球もしようと思えばできなくもない。
しかし、少年の季節は、もう来ない。
なんだろう・・・
お別れする時が来ていたんだ。
初めて気づいた。